創業大正4年にまでさかのぼる初代の意思を受け継いだ現代の名工が、受注した建物を引渡す。家族に幸せに住んでもらえる。住み心地の感想が聞ける。アフターでのお手伝いができる。そして長いおつきあいで築かれた絆によって、心から許して頂ける。そうしたお付き合いをさせて頂ける、幸せな職業。常に研鑽を積む喜びの職業です。
現社長は三代目、本年で太洋建設は創業93年の歴史があります。
初代田中寅吉は、この地、新潟県(旧)三島郡与板町に生まれ。出身地であるこの地は、NHK大河ドラマ「天地人」でも話題になった直江兼続侯が与板城の城主でもあったことでも知られています。その後与板城は、徳川十五代将軍彦根藩士、江戸幕府の大老でもある井伊直弼の四男、井伊直安候が藩主となりました。田中敏一はその井伊直安候の下級武士の末裔でもあります。こうした歴史的背景のある土地で生まれ育ち、そこで培われた忠義心が、建設業一筋創業93年続く新潟県人の賢人「家づくり職人」を育ててもらったと思っています。

- 初代 田中寅吉

- 二代目と大工職人

- 三代目と大工職人
田中敏一の生まれ育った与板町は、刃物打ち職人の町、そして越後最大の豪商の町として聞いています。
またこの地、与板町は今話題になっている直江兼継候の城下町でもあります。鍛冶職人の集落地として、上杉藩に大きく貢献しています。時代の変化と共に、三条市の卸問屋に刃物を納めることと、豪商の力が相俟って、義理人情に強い民俗魂が育ったものだと思っています。

- 鉄と炎の戦い。一瞬の隙も見逃さない激しい目
与板人の古見誠名人
田中敏一は地元、新潟県(旧)三島郡与板生まれ。初代から大工の極意を学び、昭和33年に3人の職人を連れ、故郷、新潟を離れ霧夢想一言で語り尽せな日々でした。縁があって都建設の大工手間請負工事で「第一大洋商会」の社長様ご邸宅仕事をやらせてもらいました。
天にも地にも知人はおりません。ただ無色透明な新潟県人田中敏一、独りです。故郷旅立つときの決意は結婚前に居住地を買うことでした。一年後に結婚式を奉る約束で見合いも出来ました。
縁あって、現在住んでいる土地の取得契約も出来ましたが、銀行借入での連帯保証人に途方に暮れていました。無我夢中の思いで、第一大洋商会社長様にお願いに伺いましたところ、気持ちよく承諾いただきました。
借り入れの必要書類を早く持って行くようにと言われたとき、その時の気持ちは、まさに神仏先祖の加護に感謝しました。これで、人生のスタートラインの白線に立てたのだと思いました。この思いを、後世に伝えるための遺言書の写しが右の書であります。
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私のほうから社長様に、このように聞きました。
「本書面を読んだら、記名押印できない。」社長様の言葉は、以下の通りでした。「会社の社員親戚問わず、自分のことさえ満足にいかないのに、他人の連帯保証人にはなれない。(35名の会社)お前だからやってやる」と言われました。注)借入金について責任を持つことです。最後の言葉です。
川崎市幸区古川町37-7、この土地取得を本拠地として創業93年地元で活躍させてもらっています。
当時は商号を田中工務店としていました。昭和36年に、我が家の土地取得のとき連帯保証人を引き受けてもらった社長様の会社の商号をいただき「太洋建設」と命名していただきました。後五年後に、「大きな願い」「小さい願い」を表現した会社のマーク作ってもらいました。会社理念に立脚した至宝に感謝しています。
「正直言うと、最初は半信半疑だったんです。でも、やっぱり家づくりをお願いして、本当に良かったです。ありがとうございました。」
これは、数年前に太洋建設に頂いたお客様からの手紙の一文です。
「子育て世代でも無理なく建てることができる家を提供したい」と考え始めてから、早10年以上が経過しました。
住宅は、個人が購入する買い物のなかでは、生涯で最も高価な買い物です。そして、ほとんどのお客様が家を購入するために、借り入れを行います。「どのような住宅を建築するのか、どのくらい借金をするのか?・・・」それがその後のお客様自身、そしてお客様のご家族の人生に大きく影響してしまいます。
太洋建設では、「お客様に無駄なお金はかけさせない」という思いを胸に、「安くてよい家」はどうしたら作れるのか、この川崎市を本拠地として、日々研究に研究を重ねています。
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川崎市より技能賞2回、サッシメーカーより感謝状、銀行より10周年記念感謝状、大手ハウスメーカーより現場監督表彰、一般のお客様より感謝状10枚
日本古来の木造軸組構法は歴史に集積した現代建築と思っています。
試行錯誤の末の上に出来上がった建築手法であって、世界先進国の技、量産技術住宅を持ってきても、宇宙の自然の力には勝てないと思っています。
当社の歴史持続には、地震に強く、不倒・不変・近代的な外観のデザインを重視して世界又はメーカーが新しく開発した設備も重視して、より感謝され。建てて良かったと思われる家づくりに研鑚して行きます。

- 住宅専門誌掲載 5回

- 一般誌掲載 1回
武士の魂、日本刀で考えてみましょう。どれ見ても精心無比鍛える技物を、目力で名刀の評価はできません。名刀にふさわしい刀物研ぎ士が仕上げ、名刀を知る人が持ってはじめて、その武士のいる藩は安泰となるのです。
彫刻師の名人左甚五郎で考えてみましょう。
受注された彫刻作品の納まる位置、全体の構図、距離等を考え、彫り上がった作品そのものが、見る人々にとって生きているように見せられる、これこそが名人です。
私も75歳にして仏像彫刻教室に通っています。
教える先生は、この道一筋65年と聞きます。彫刻刀の一刃一刃彫る木から刃物がはなれる度に、残された木片を見れば別の生きた強さが現れます。同じ教室に通っている30年の経験者の仏像は、素人目では綺麗に彫り上がっているように見えますが、魂が入っていません。誰も秘法を教えてはくれないのです。

- 名刀

- 上野東照宮 左甚五郎作
昇龍(右)降龍(左)

- 仏像
大工と職人の秘法と伝承。
大工さんが使っている鉋で話をしてみましょう。初代千代鶴、まさによく切れる名の通り、杉板で白い部分を削って見るとよくわかります(使う人によっては切れない)。刃物は、すべて研ぎ方と刃物を入れる台、使う人(職人の技です)によって変わります。そうした大工さんの数多い秘法は、実の子供、そして孫へと伝承されます。それが職人根性です。建物を立てても、5年位はわかりませんが、過年するにつれて変化して行くのに気が付きます。

- 写真右側二代目

- 左から三人目が二代目 伊豆に慰安旅行
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